若島津の現在は?2026年3月に死去、療養生活と部屋のその後

出典:自作 AI 画像(Stable Diffusion 生成)

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元大関・若島津(若嶋津)さんは、2026年3月15日に肺炎のため69歳で亡くなりました。2017年に頭部の大けがを負った後は療養を続け、2023年7月には日本相撲協会を退職。以前の回復報道と、その後の訃報を時系列でたどると、晩年の歩みが分かります。

若島津の現在は?2026年3月15日に69歳で死去

「最近はどうしているのだろう」と近況を探している方には、残念なお知らせになります。元大関・若嶋津、本名・日高六男さんは、2026年3月15日、千葉県内の病院で亡くなりました。死因は肺炎と報じられています。

鹿児島テレビの2026年3月17日付報道でも訃報が伝えられ、故郷の関係者が人柄や地元への思いを振り返っています。

療養中の様子を伝える記事や写真も残っていますが、それらは生前の記録です。「現在もリハビリを続けている」という説明は、2026年3月の訃報より前の情報に当たります。

「若島津」と「若嶋津」は同じ人物

名前の表記が違うため、戸惑うことがあるかもしれません。日本相撲協会の歴代大関紹介には、しこ名の変遷が「日高 → 若島津 → 若嶋津」と記載されています。

「若島津」も実際に名乗っていたしこ名です。訃報や公式記録では、主に「若嶋津」の表記が使われています。

2017年のけがから退職まで、何があったのか

晩年を振り返るうえで大きな出来事だったのが、2017年10月の頭部のけがです。ただ、その後ずっと公の場に出られなかったわけではありません。回復して国技館を訪れたことや、退職後に感謝を伝える会を開いたことも報じられています。

時期 主な出来事
2017年10月 路上で倒れているところを発見され、頭部の手術を受ける
2018年5月 手術後初めて両国国技館を訪れ、八角理事長らにあいさつ
2021年12月 部屋を放駒親方へ引き継ぎ、自身は荒磯を襲名
2022年1月 65歳の定年を迎え、その後は再雇用で協会に在籍
2023年7月 日本相撲協会を退職
2023年12月 東京都内で「感謝の集い」を開催
2026年3月15日 肺炎のため69歳で死去

2017年10月に頭部を負傷し、手術を受けた

当時の日刊スポーツによると、2017年10月19日、千葉県船橋市内の路上で倒れているところを通行人に発見されました。自転車で転倒して頭部を強打したと報じられ、病院で手術を受けています。

このとき若嶋津さんは二所ノ関親方として、日本相撲協会の理事・審判部長を務めていました。けがの後は療養生活に入りました。

なお、2026年に報じられた死因は肺炎です。2017年のけがと死去について、直接の因果関係まで断定することはできません。

2018年には杖を使わず国技館を訪問

回復の様子が具体的に伝えられたのは、2018年5月10日の国技館訪問です。

デイリースポーツの同日付記事では、長女らに付き添われながらも杖を使わずに歩き、八角理事長らにあいさつしたと報じられました。芝田山広報部長からは、会話もしたことが伝えられています。

一時は重体と報じられた後に、自分の足で国技館へ戻ったという記録です。ただし、この時点の回復状況と、その後の体調は分けて受け止める必要があります。

2023年7月に協会を退職し、12月に「感謝の集い」を開催

若嶋津さんは2022年1月に65歳の定年を迎えた後、再雇用制度で協会に残っていました。その後、2023年7月21日付で退職したことが報じられています。

同年12月22日には、東京都内のホテルで「感謝の集い」を開催。スポニチの報道によると、後援会関係者や部屋のOBら約400人が出席しました。

親方としての活動を終えた後も、長年支えてきた人たちと顔を合わせる機会があったことが分かります。

妻・高田みづえさんが伝えた晩年の様子

妻は元歌手の高田みづえさんです。訃報の際には、みづえさんの言葉を通じて、亡くなるまでの経過も伝えられました。

2026年3月15日付のスポニチによると、若嶋津さんは2025年夏から体調を崩して入院し、最期は家族らに見守られたということです。

みづえさんは「親方には、ありがとうという気持ちです」と話しています。長くともに歩んだ夫への思いが伝わる言葉でした。

同月23日には、千葉県市川市内で通夜が営まれました。千葉日報に掲載された共同通信の記事でも、昭和の人気大関をしのぶ様子が報じられています。

若島津の部屋はどうなった?放駒部屋に引き継がれた

若嶋津さんが率いた旧二所ノ関部屋は、元関脇・玉乃島の放駒親方が継承し、放駒部屋になりました。

日本相撲協会の2021年12月24日付発表には、部屋の継承と、所属力士らの放駒部屋への転属が記されています。同じ発表で、若嶋津さんが「荒磯」を襲名することも明らかになりました。

元稀勢の里の二所ノ関部屋とは、継承の経緯が異なる

ここは少し混同しやすいところです。「二所ノ関」という親方の名前を受け継いだのは元横綱・稀勢の里ですが、若嶋津さんの部屋を受け継いだのは放駒親方です。

  • 若嶋津さんの旧二所ノ関部屋:放駒親方が継承し、放駒部屋へ
  • 元稀勢の里の旧荒磯部屋:師匠の名前の変更に伴い、二所ノ関部屋へ

この違いは、日刊スポーツによる部屋の変遷の解説でも整理されています。親方の名前の継承と、弟子たちが所属する部屋の継承は、同じではありません。

現在の放駒部屋については、日本相撲協会の部屋紹介で、師匠や所属力士を確認できます。若嶋津さんが育てた一山本や島津海も掲載されています。

生前の写真や現役時代の姿はどこで見られる?

生前の姿を振り返りたい場合は、撮影時期が明記された報道写真が参考になります。

日刊スポーツの2026年3月16日公開の写真特集には、新入幕当時の姿、優勝時、家族との写真、親方時代などが収められています。記事の公開日は2026年でも、掲載写真はそれぞれ異なる時期のものです。

引退後の節目としては、前述の「感謝の集い」の記事に、2023年12月にあいさつする姿が掲載されています。

「南海の黒ひょう」と呼ばれた大関の記録

若嶋津さんは鹿児島県・種子島出身。引き締まった体と素早い相撲で、「南海の黒ひょう」の愛称で親しまれました。

日本相撲協会の公式記録では、1975年3月に初土俵、1983年1月に大関へ昇進。幕内優勝は2回で、1987年7月に現役を引退しています。

現役時代の記録を知りたい方は、公式プロフィールの戦歴・受賞歴で確認できます。近況だけでは見えにくい、力士としての歩みも残されています。

土俵を離れた後も、弟子たちに残った教え

若嶋津さんの訃報を受け、弟子の島津海は、稽古場で教わった前に出る相撲を続けていく思いを語りました。2026年3月16日の日刊スポーツは、先代師匠をしのぶその言葉を伝えています。

若嶋津さん本人の新しい近況を知ることは、もうできません。それでも、写真に残る土俵姿や公式の戦歴、放駒部屋で相撲を続ける弟子たちを通じて、その足跡をたどることができます。

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